facebook
一般社団法人 香川県建築士会
〒760-0018
香川県高松市天神前6-34 2F
Tel:087-833-5377
Fax:087-833-5394

信頼できる建築士を探せるサイト 専攻建築士検索システム

CPD情報システム

監理技術者講習

建築士会コラム

役員リレーコラム 「刻の流れに身を任せて」 調査研究委員会 副委員長 籔内 清二

  今までを振り返って気が付けば建設業を営む事になり、建築士試験を受験して建築士となり香川県建築士会に入会させて頂きました。それからしばらくすると何故か応急危険度判定士連絡網のグループ長を仰せ付かり、更に調査研究委員会に配属させて頂いて、香川県の近代和風建築等の調査や、CPDの手伝いをしている内に、遂には理事に任命されて、この文章を書く事になってしましました。
 
 さて、このコラムに、建築に拘る訳でも無く、他の方々の様に何かを追求している訳でもありませんから、テーマも思い浮かびませんでしたので、徒然なるままに雑文を書かせて頂きました。

 私は建築士会に入会するのは早かったのですが、建築士会の全国大会へのデビューは最近?ですし、途中で大学時代の同期との同窓会で抜けたりしますし、一応忙しい身らしいので、日程の調整が付かなくて視察研修等では不義理をして、会員の皆様とはご一緒させて頂く機会はあまりありません。しかし他の団体の研修旅行では、大学時代の授業で「建築の道へ進むのなら、絵画や音楽等の芸術も見聞きする様に。」と言われた事だけは覚えていて、子供の頃から長く続いているだけの趣味の音楽を聴きに行ったり、普通の人と違った乗り物や異なった芸術を見たりして、本当は真面目に見るべき建築物をおまけで見ています。

 刻の流れを振り返りながら思い付くままに書かせて頂きましたが、今後もいろいろな所で士会の会員の皆様とお会いする事があると思いますので、本当に建築が好きかどうかは分からない私ですが、これからもよろしくお願い致します。

 

役員リレーコラム「日本の建築施工の将来を想う」 高松支部 理事 谷口邦彦

今月号のコラムを担当させていただきます谷口です。常日頃大変お世話になります。

私も一応建築士として士会の役員に名を連ねさせていただいておりますが、私自身は建築士というより建設会社の経営者として日々建築に取り組んでいますので、建築士といわれると少しおこがましい気持ちを感じなりながらも日頃想うことを綴らせていただきたいと思います。

建設請負の生業にかれこれ35年間携わっておりますが、建築のデザインや構造、仕上げ、価値観の多様性やその奥深さには日々驚かされます。と同時に疑問や危機感を感じることも多々あります。

私は東京の大学でPCコンクリートの強度の研究を専門に土木工学を4年間学びました。当時、実兄は優秀な大学の建築学科に進んでいたので、弟の私の方は土木を学んでおけば将来家業の何かの役に立つだろう、との両親の目論見からの専攻でした。しかしその後、両親の思惑はみごとに外れ、兄は家業を継がずに東京に留まる道を選択します。期待の後継者を失った両親は、『おまえでええから帰ってこい』との命を私に下し、出来の悪い次男の私が会社を継ぐことになったのです。子供の頃には建築現場や材木の加工所を遊び場にしていましたので、建物を建てることに興味はありましたが、まさか将来自分が建築士になり会社を背負って立つ人間になろうとは想像すらしていませんでした。

人生計画の一大転換事に心構えができていない私は、帰郷する前にせめて一年だけアメリカに留学し自由を満喫させてくれ、と両親に願い出ます。思い切って未知の世界に飛び込み、真の自信を身につけたかったのが本心だったように思います。そしてカリフォルニア州立大学のサンディエゴ校に入学することになります。

その留学時代にふれたカリフォルニアの公共施設やアパート、住宅には大いに驚かされたものでした。奇抜なデザインの建築物もごくたまにはあるのですが、たいていは非常にシンプルな構造で、住宅などは2×4の至ってコンサバティブなものでした。日本の住宅に見る檜の柱や土壁屋根瓦などのように職人が手間暇かけて造り上げるというものではなく、文化や気候、国民性の違いによるものなのでしょう。極めて合理的にシンプルな住まいを機能性重視の道具のように造っているという印象でした。費用のかけどころはその後の家具や鋪設、プールやバーベキューガーデン、ビリヤード室など、生活を快適に楽しむためのツールに使われているようでした。若かった私は建築に対する米国の価値観に非常に影響を受けて帰国したように思います。

その後帰郷し、当時の総務省主催の「海外青年の船」という事業に参加。50日間、客船日本丸で200人以上の日本各地とオセアニア地域の若者達と、アジア・オセアニア5ヶ国を巡る旅に出て、各国の文化や建築物などを見学したり、仕事に就いてからは建材共同購入でアジア各地を何度も訪れました。新工法の勉強のためにヨーロッパを巡る研修ツアーにも出来る限り参加したりもしました。海外の新しい工法やリーズナブルな建材資材を導入し、自社マンションの基礎には鉄パネル型枠、躯体の型枠はドイツから購入した何十回も転用できるアルミ型枠などを利用、仕上げには海外の安価で高級なタイルやレンガを使い、コストと品質や精度を追求することに没頭したのもこの時期です。その取り組みは25年以上も前の建築工法としては画期的なものでした。
 column2.jpg

思い返せば感性の柔らかな時期にずいぶん海外の建築物や文化にふれる経験をさせてもらえたことに感謝するばかりです。世界を見渡しても日本独特の建築工法や仕上げの美しさは世界でもトップレベルだとつくづく感じ入ります。しかしそれは鍛えられたレベルの高い日本人の職人技術者だからできるものです。

海外の先進国ではすでに職人や技術者が少なく、低賃金の後進国からの労働者で成り立っているのが実情のようですから、今後、日本もそれに近い時代が必ずやって来ます。ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国では移民などによる有り余る労働力を合理的に利用するため、RC造建設工事ではシステム型枠による、躯体設計からの効率的な“建築躯体工事のシステム化”をどんどん推し進めています。

日本古来の技術においては後世に守り伝えてゆくためにそれなりの対価をしっかり保証し、後継者を育成していかなければならないのは言うまでもありませんが、一般的な建築に至っては外国の言葉の通じない技術者達にでもできる工法を取り入れていかないと成り立たなくなっていくことでしょう。現場施工の工事も工場生産現場組み立てや機械化の方向です。

そのように間近に迫る時代に対して、建物の価値観を私たちも見直していくことが大事だと思います。品質をより一層向上させ、快適で安全に使える建築は依然求められますが、施工の生産性は今以上に効率化していかなければならないと大変危機感を持つところです。

変化していく世界や日本の建築における現実に、建築士としてまた経営者としてこれからますます対応を迫られるであろうと身の引き締まる昨今です。
column1.jpg

役員リレーコラム「最近受けた講座」 監事 川口洋子

2016年度に開催された「香川文化遺産保全技術者養成講座」毎月1回、年間60時間の受講に参加しました。身近にある歴史的価値の高い建造物の保存と活用を目指して、香川大学での講座や現地での研修です。

参加者は、設計・建設業・職人・学校の先生・歴史的建物に興味のある人等30名を超える人たちです。毎回、会場は真剣で熱心な受講者でいっぱいです。みんな先人の残した文化的な建物が大好きで、見学会や実測調査では、目をキラキラさせて、あちこちのディテールや構造などを見たり測量したり、楽しくて有意義な時間を過ごしました。

建築士会連合会では、全国ヘリテージマネージャーネットワーク協議会を立ち上げる準備委員会があります。ヘリテージとは、「受け継いだもの。 また、代々継承していくべきもの」という意味です。身近にある古い建物を調査し、次世代に継承して行くことを目標としています。香川での講座は2017年度も開催されます。その後、登録希望者はネットワークに参加することになっているようです。

素晴らしい建物が近くにあっても、まったく知らない。住む人もなくそのうち忘れ去られ、朽ち果てる、そんな現実があることを知り、残したいと思う人が増えることを願っています。

今後は、学んだ知識をもとに自分たちに出来ることを少しずつ、実践していかなければいけないと思っています。日本の文化である木造建築物を、知ることから始め、調査し、保存する方法を見つけ、利用価値を見出す。微力ですが、少しでもそのお手伝いが出来ればいいなと思っています。

別件ですが、今年度もかがわ木造塾を開催致します。6月号にて内容を発表致しますので、ぜひご参加ください。

写真は多度津で見つけた素敵な物です。
kawaguchi-2.jpg

1.jpg

kawaguchi-3.jpg

kawaguchi-4.jpg

役員リレーコラム「ゆく河の流れは絶えずして」西讃支部 理事 土田 実

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中の人とすみかとまたかくのごとし』

あまりにも有名な、鴨長明の方丈記本文序章書き出しである。『昔ありし家はまれなり』と続く。世と人生の無常をうたったもので「常に同じものはこの世にない」ということか。今回のリレーコラムに際して、この無常について考えながら自分なりに人生を振り返ってみようかな~ と。

団塊の世代といわれる3年目、西讃のかた田舎に水のみ百姓の長男として生まれた私は、女系家族としては久しぶりの男の子ということで、それはそれは大事にされたらしい。そのせいか、貧乏だったけれどそんなに辛いと思ったことはなかった。周りもみんな貧乏だったからかもしれないが、それなりに毎日が楽しかった。

私の家は農家だったが、稲作以外ではたばこを作り他にはトマトやなす、きゅうり、すいか、玉葱などを栽培し、農閑期に父は副業として大工をしたり鉄骨建築の会社に勤めたりしていた。

小学生時代、私は図画工作が苦手で夏休みの宿題ではいつも苦労していた。図画の宿題はなんとか出来て、あとは工作のみとなって、出来ずにべそをかいていた私を見かねた父は、夏休み最後の日に木の残材を利用して「ちょうな」を使い私の見ている前でみるみるうちに一艘のボートをつくりあげた。無論、担任の先生は一目で私の作品でないことは判ったみたいで、なんの賞ももらえなっかったが、子供心にも父はすごいなと思ったと共に、すごくみじめな自分がいたことも、はっきりと覚えている。

私は、父が大工をしていたことはよく知らなかったが、後年建築に携わるようになって、そのことを納得した。後日名前は鉄工所でも総合建築として木造建築も受注して施工するようになった基盤がそこにあったのかなと思う。

母と結婚する前、父は大阪の会社で旋盤工として働いていたというのを後日聞いた。不器用な私と違って父は、マルチ職人であったなと今、思う。古箪笥ひとつ持って貧乏農家に婿養子としてやってきた父は、百姓として人生を終えることは嫌だったらしく、当時役肉牛として飼っていた牛を売った金を資金として溶接機とガス機一式を揃え鉄工所を開業した。我が家ではなく、里の納屋と軒先を借りてである。父の兄である伯父も偉かったと思う。

私が中学2年だったから、もう53年前のことである。当時私の担任であった教師に将来の進路について相談した時、「お父さんの後を継ぐにしても工業高校の建築科に進学するより選択肢の多い普通科にしたらどうか」と言われ、本当は理数科が苦手だった私にとっては渡りに船とばかりに地元の県立進学校を受験し入学した。もとより、本が好きで読書三昧だった私は、国語の教師になりたかった。そんな私に父は、あえて鉄工所の跡継ぎになれとは言わなかった。しかし、父には一つの条件があって、進学は四国内の国立大学にかぎると言われた。

某国立一期教育学部を当然合格するつもりで受験した私は、団塊の世代の受験戦争のあおりを受け、浪人生を含む受験者数がふくれあがった競争率のせい(本当は実力がなかった)で見事に失敗した。もう進学は無理かと思っていた時、入試募集要項の中に某国立大工学部に併設のⅡ部3年制短期大学部がある事を知った私は、もうこれしかないと思った。

理数科を出てない私のレベルで合格しそうな精密機械工学科を受験し合格した。バイトをしながら3年で履修卒業したのち土木工学科に編入し、同時に県内有数の某市内に本社があり、機械部門もある鉄骨、橋梁、水門、製缶業を営む会社に入社し、機械部以外の部門を希望し建築設計課に配属された。もとより、機械やになるつもりは全くない私に、何の異存もなかった。設計課には建築部門に優秀な厳しくもやさしい上司や先輩がいて、徹底的に鍛えられた。働きながら夜学に通ったので、2 年で済むところを4 年かかって卒業した。必死だった。卒業の時、担任教授が部屋に呼んでコーヒーを入れて下さった。嬉しかった。

役員リレーコラム「風のささやき」西讃支部 理事 今井志郎

 子供のころから、よく映画に連れていってもらった。好きだった映画は西部劇で、主人公が馬に跨り、丸めたモーフを括り付け旅をするシーンで、夕方になる山や草原で食材を調達し、キャンプ地が決まると愛馬から鞍を外し蹄を見て労わる。小枝を集めて火を越し、その火で真っ黒になったフライパンでお決まりのビーンズ料理を作り、バンダナでコヒー豆を石で潰して香りを楽しみながら仲間と会話をしながら飲み、そして顔にハットをかぶせモーフに包まって眠りにつく。雨になれば枝を立てて簡易テントを作り、雨が止むのを待ち、自然のペースに合わせて旅を続けて目的地を目指す。

 小さい時の憧れは、愛馬が自転車になり、16歳からはバイク(鉄の馬)に跨り、テントや鍋釜を荷台に括り付けて山に入り、自然の風のささやきを聞きながら、沢の水で料理する、メニューはもちろんチリビーンズそしてドリップコーヒーを飲み、満天の星の下、テントで一夜を過ごす。

 今でも年に何回かではあるが、鉄の馬に跨り、光、雨、温度そして見知らぬ土地の風や香りを体全身で感じながら、風土に育まれた建造物を見て廻る旅が50年間続いている。

 今まで、ウサギ小屋から市民会館まで、色々な建設に携わってきたが、いつも最初に考えたのは、建設しようとする建物を使う人、利用する人が如何に心地よく過ごせる事が出来るかどうかである。それは、四季折々季節を感じる光や風の空間があり、窓からは、柔らかな光りが射し込み、開ければ、心地よい風がささやき、そこで自然を感じながら、生活や勉強や仕事が出来き、極力機械に頼らない建築を目指してきた。

column201702.JPG

 昔の人々は、山の恵み、海の恵みなど、衣食住の全てを自然の中から創り出し共存してきた。山から木、小枝、枯葉を集めて、家を建て、釜戸で火をおこし料理を作り、冬は暖を取り生活をしてきた。小生が低学年の頃まで我が家もそうであった。そうすることにより、必然と豊かな山が生まれ、その栄養素は川から海へ流れ、魚の餌となり豊かな海が生まれる、自然と循環型が形成されていた。建築材料である木や土壁はリサイクルができ、再建に使用し、物を大事にしてきた。

 地球上の生き物の中で、人間だけが自然に生かされている事を忘れて自然を破壊し、人間だけの繁栄を進めてきた結果、地球温暖化を生み、異常気象が当たり前になった今、やっと重い腰を上げ問題に取り組むようになった。

 石油危機を起因にして、建築分野では1980年に住宅の『省エネ法』が施行され、どの住宅メーカーも断熱性能を高める為に高断熱、高気密な住宅を作り目玉にして売りだした。この時、「何か変?」とひっかかる物があった。どうして自然との共存が前面に押出さないのか、どうしてその土地土地の風土に合った住宅の建築様式が確立されたのか、などの見直しが出来なかったのかを、法を読みながら思ったのを覚えている。

 皆さんの中にも、同じように感じた方もおられるのではなかろうか。
 また「省エネ法」が住宅の乾式工法を加速させ、本来、その地の風土に合った日本建築に必要な大工、左官等の技術の伝承が廃れてきたも要因の一部と思っている。

 昨年、建築士11月号の特集に『気候風土に根ざした木造建築の継承』が掲載され、色々な内容の記事があり、読みながら改めて我々に突き付けられている責任は重大であると感じた。今までにも色々な分野で、自然の修復に取組んではいるが、我々も建築に携わる者として、真剣に自然と共存に向かう事により、省エネ、建設資材、人材不足、技術の伝承等の問題の解決に時間は係るが、つながっていくと思う。

 小生も仕事をリタイヤする年になってきているが、これからも自然の恩恵を受け、仕事やバイクライフを楽しみ、暖かな風のささやきを感じながら過ごしたいと思う。乱文ですが、持論を少し書いてみました。

※ 小生の鉄の馬は「スーパーカブ110プロ」で郵便屋さんが乗っているのと同じタイプで、旅は、いつも心和み、時速30kmで走る世界が、一番自然を感じる事ができ、至福の時間。