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建築士会コラム

役員リレーコラム「ふと、振り返れば」西讃支部長 今井 史郎

大阪で建築を学び、地元に帰って建築分野に就職して仕事を覚える内に物作りが面白くなり、規模・工事費など関係なしに、与えられた仕事1つ1つを大事に考え業務に携わって来て、2年前、現役を退く時期が来た時には、44年間の月日が流れていました。

昭和48年4月に就職した時、直ぐに職場の先輩から建築士会の勧誘があり、何も分からないまま説明を聞いたのと同時に入会し籍を置くことになりました。

数年が過ぎ、仕事にも慣れ、現場でも士会会員の方と知り合いが増え始めた頃に青年部長になり、この頃から「建築業に携わる者にとって建築士会とは何ぞや」、を考え出した時期でもありました。青年委員会にも参加するようになり情報交換、勉強会、県外研修など本部事業に参加する中で感じたのは若い人の参加が非常にむつかしかった事でした。

昭和50年代はバブル時期で、人材はおり、面白いぐらい仕事があり、現場は日々残業が当たり前、休日はほとんどなく、活気はありましたが、この当時は、福利厚生、有給休暇などは、今みたいに理解はなく研修旅行に参加したくても、却下され自分の時間が取り
づらい時期でもありました。

このようなことから、若い会員が色々な行事に参加し易くするにはどうしたらいいかを支部青年部役員会で協議し、会員増強にもつながる事業を考えたのは、支部青年部独自で技術研修や研修旅行などを企画して、支部の役員会で了承してもらい、会員の身近な士会支
部事業として位置付けをし参加してもらう事でした。

呼びかけは支部会員同士になる為、知り合いも多く話しやすく、役員が会社にも出向き、士会・研修目的などを説明し、会員の方が参加し易いように心掛け、毎年20名の参加で県外研修を企画し、支部青年部の目玉事業になりました。支部だけの研修旅行は、県内では西讃支部が初めての企画実施した事業であったと思います。

他支部からも参加希望もあった年もあり、40年近く経った今でも支部青年部に引き継がれており、この頃参加していた若き会員は、現在、支部役員で残って活躍しており、青年部が活動し易いようにバックアップしています。

青年委員会での思い出は、機関紙『さぬき瓦版』の発行に携わる事が出来たことです。いつも、午後から事務局に集まり編集校正の打合せをして帰りは みんなで近くの喫茶店で夕食を食べてから解散でした。一時期、編集部員が2名だけの時期があり、この頃が一番苦しかった時で、何とか協力しあい乗り越え、後に、広報編集委員会が出来、現在も『さぬき建築人』と名前を替え、毎月送られて来た時、楽しかった良き思い出が蘇ります。

青年部を卒業後、支部事務局を15年近く担当し昨年、役員改選で支部長の推薦を受け、小生の年齢を考えると、建築士会を通じて知り合い、お世話になった会員の方への恩返しが少しでも出来るのは今の時期と考え、引き受けたしだいです。任期中に、次世代を担う若き会員にバトンタッチ出来る様頑張りますので、これからもご協力よろしくお願い致します。

今回の、役員コラムの原稿のテーマを考えている時、ふと、振り返った内容を書いてみました。
 
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年頭の挨拶 会長 遠藤孝司

初春のお喜びを申し上げます。
平成31年の新年、明けましておめでとうございます。会員の皆様も華々しくも、穏やかな初春を迎えられた事と思います。本年も変わらずのご指導、ご鞭撻下さいますようお願いいたします。平成の元号も、この5月からは新しい元号になるのですね・・・・!

昨年は、中国四国ブロック会の幹事県という事で、例年とは異なる催し事が多くありました。6月には中国四国ブロック会の会長会議があり、連合会から三井所会長・成藤専務に参加いただき、中国四国ブロック会が連合会へ提案していた「施工分野における建築士の配置促進」の事など議論し、有意義な会議になりました。同じ6月に「青年・女性建築士の集い中四国ブロック香川大会」を開催、レグザムホール(香川県県民ホール)を会場に370名の若き建築士が集い、大いに語り合いました。秋には事務局職員会議がサンポート高松で開催されたところです。

ブロック会の話題にもありました「建築士資格制度の改善」、士法の改正も昨年には大きな動きがありました。
 *受験時の要件である「実務経験」を建築士登録時の要件とする
 *実務経験の範囲を拡大など
まずは、法律の改正が必要な事項を、自民党議員連盟の先生方に要請し、三井所会長は改正の必要性を業界紙の記者と会見、国交省・法制局と調整後、昨秋の臨時国会に議員立法で法案を上程しました。「改正入管難民法」など、与野党のややこしい対立法案が多々あり、審議の遅れで気をもみましたが、会期末ギリギリの昨年12月8日(土)の深夜に改正建築士法が成立しました。

法律が成立した事で今後、社会資本整備審議会建築分科会などで実務経験の要件等が検討され、国交省では関連の政省令の改正をし、2年後、2020年の試験から適用する事を予定しています。これで、「建築士」目指す若者にとっては、より早期に見通しを持って、資格の取得が可能になったと思います。今までもそうでしたが、今後益々、自己の実務経験等で第三者的な正確さが問われる事になります。香川県建築士会では建築に関わる仕事を目指す若者が活躍できる、環境整備を整える事を今後共、連合会等を通じて各方面に働き掛けてまいります。

末筆になりましたが、平成30年秋の叙勲で、本会の名誉会長の川井稔氏が旭日小綬章を受章されました。誠におめでとうございます。これからもなお一層のご活躍を期待し、本会へのご鞭撻を宜しくお願いいたします。

以上をもちまして、簡単ですが年頭の挨拶といたします。

  平成31年 正月

役員リレーコラム「今迄の44年間の建築士会活動で得たもの(回想)」中讃支部長 大西 秀行

昭和50年当時、坂出市役所の建築技師として在籍していた私は、資格取得と同時に(社)香川県建築士会に入会した後、中讃支部青年部会員として支部活動に度々駆り出されていました。その頃の支部活動としましては、各分会単位によるソフトボール大会やボーリング大会等が盛んに行われ、親会・青年部会を問わずほぼ全員参加で、非常に活況を呈していました。

また、年1回の本部総会は玉藻公園内にある飛雲閣で盛大に開催され、各支部からは官公庁・設計事務所・施工業者・建材メーカー等に勤務の大先輩方が集い、昼間から赤ら顔で大いに盛り上がった古き良き時代でもありました。さらに本部活動としては、高松三越デパートや丸亀四国電力等で住宅相談も行っており、私も相談委員として参加した想い出があります。

なお、余談ですが昭和57年には本部青年委員長として、初めて第25回建築士会全国大会「新潟大会」(30周年)に参加し中四国ブロック代表で事業報告を行ったのですが、報告内容の全国レベルの高さと会場の雰囲気による余りの緊張から、自身喪失してしまって十分な報告が出来なかった事を思い出すと今でも恥ずかしい気持ちで一杯です。

さて、話は戻りますが当時、私は中讃支部事務局長の下で支部会員の増強、協力会員等の掘り起しや会費集めを担当していました。市役所勤めと言うこともあり、他の行政の方々や民間企業の方々との交流が自然発生的に生まれ、この頃から建築士会活動を通して、一生涯お付合いの出来る友人や仲間ができた様に思います。当時は会費の徴収や仕事にまつわる利害関係が生じやすいとの理由で、建築士会の活動に非協力的な職場や組織も確かにありました。しかし、そこは自分の気持ちの持ち方次第であると肝に銘じ、清廉潔白を信条に上司の許可を頂き日々の活動に参加してまいりました。

また、今では恒例となっている建築設計競技にも職場チームとして参加し、その時のテーマは確か「坂出ウォーターフロント計画」だったと思いますが、審査員に当時の香川県建築課長や建築士会の重鎮の方々と共に、坂出(故:番正辰夫)市長も加わって審査を行って頂いた事で、建築士会会員として地元行政に貢献できた嬉しさと、建築士会と自分の所属する行政の距離が縮まった事の嬉しさ、及び銀賞を受賞した嬉しさが今でも大変印象に残っております。

その後、建築士会の活性化と言う点では坂出市教育委員会と協議しながら「坂出マナトピア」の中で中讃支部主催の住宅相談会を企画・立案し実行、現在の丸亀「お城まつり」と同様に当時は多くの参加者で賑わっていた事を覚えています。この頃は、本当に各行政と民間企業がお互い協力し合いながら、社会全体に対する建築士会の存在を如何にしたらアピールでき、貢献できるのだろうか?更には建築士会全体の活性化のために青年部会として何が出来るのだろうか?と、自問自答しながら取り組んでいた事を思い出します。

それから44年余りが過ぎましたが17年前の満50歳の時、長年慣れ親しんだ市役所を早期希望退職し、また東京の準大手ゼネコンで働いていた二男を呼び戻したうえで、現在は念願であった耐震診断等を中心とした構造設計事務所を営んでいます。退職した頃は、周りの者からは「お前、一体何悪い事をしたんや。世間の常識では、考えられん。」と揶揄され、家族からは「お前は一体何を考えているのか!・・・・・親子関係断絶の危機と思える程」と酷く叱られました。しかし、翌年位からは公務員時代の友人や建築士会の仲間から徐々に仕事の依頼も有り、なんとか退職後の難局を乗り切り現在に至っています。

こうした中、前々回の第59回「大分大会」に引き続き今回の第61回建築士会全国大会「さいたま大会」に参加し、改めて素晴らしい友人や仲間と久しぶりに再会出来た嬉しさと、夜の懇親会では当時の仲間達と昔話で盛り上がり、非常に楽しい思い出となりました。この様に、今迄の44年間の建築士会活動で得たものは、建築士会を通して職域の垣根を越え「未だに何でも相談出来る」素晴らしい友人関係、何十年経った今でも「あの時は、俺が・・・とか、お前が・・・とか」馬鹿話が出来る寛容な仲間意識、併せて建築士会の活性化と言う共通の目的のために色々な事にチャレンジし、それらが達成できた事による自己実現の楽しさなどです。

最後になりますが、今後の(一社)香川県建築士会の益々の発展を祈念すると共に、今回の全国大会参加に際し色々と御尽力頂きました関係者に対し、心から御礼を申し上げます。来年の第62回建築士会全国大会は「北海道・函館大会」との事ですが、中讃支部の一員として是非とも参加したいと考えていますので、その節は宜しくお願いを申し上げます。

【平成30年12月号「さぬき建築人」掲載】

役員リレーコラム「私の有意義な休日の過ごし方」 高松支部長 松本 宏一   

みなさんの趣味やストレス発散方法は何ですか?私は、ドライブや登山へ行ったり、ジムへ行ったりしてストレス発散や気分転換を図っています。

最近、週末の天気の良い日は、良くドライブをしています。特に目的地を決めず、ふらっと出かけ、これまでに走ったことない道や景色を見て楽しんでいます。私は、山や田畑の緑が一面に広がる田舎の原風景を見るのが好きなので、幹線道路よりもなるべくそういう風景を見られる道を選んで走るようにしています。

私は結構、方向音痴な方で、方向感覚の良い人を羨ましく思います。カーナビがあって本当に便利な時代になったと思うし、何度となく助けられているのですが、その一方で、カーナビに指示されるがままに運転するのが、機械に人間が操られているようで、反発したくもなります。最近は、ナビに右へ曲がれといわれれば、俺はここでは曲がりたくない、とか言ってナビに反抗しながら、ドライブしています。変わっていますか?

先日は北陸へドライブ旅行へ行ってきました。石川県の兼六園、金沢城、長町武家屋敷跡、福井県の県立恐竜博物館、東尋坊、富山県の菅沼合掌造り集落などを見て回りました。結構な長距離ドライブとはなりましたが、知らない道、初めて見る風景の中を走るのは楽しく、特に富山の壮大な山々や福井の広大な田園風景の中をドライブするのは、最高の気分でした。

菅沼合掌造り集落は、9棟からなる合掌造り集落で、平村相倉、白川郷と一緒に世界遺産登録されたようです。私は、合掌造り集落としては有名な白川郷しか知らず、たまたま道中で見つけた菅沼集落へ立ち寄りました。以前に白川郷へ行った時の記憶では、白川郷は規模が大きく観光地化され、人がごった返していましたが、菅沼は、こじんまりとした集落なため静かで、また違った趣きを感じました。福井県立恐竜博物館は、実物大の恐竜全身骨格だけでも44体もあり、様々な資料の展示にも工夫が凝らされており、見ごたえ十分で、子供だけでなく、大人も楽しめる施設になっています。

登山は、これまで屋島などの里山には行っていましたが、本格的な登山靴、ウェア、ストックなどの道具を揃えての登山は、昨年からスタートしました。子供の頃から魚釣りなど、自然の中で遊ぶのが大好きで、以前は良く山へキャンプに行っていましたが、子供が大きくなってからは少し遠のいていました。ずっと自然を恋しく思っていたので、今は登山が楽しく、また、キャンプも近々再開したいと思っています。

これまで、近郊の山ではありますが、百名山では剣山、石鎚山、大山に登りました。石鎚山登山では、嬉しいハプニングがありました。西日本最高峰の石鎚山は日本七霊山の一つで、古くから山岳信仰(修験道)の山として知られ、合計4か所の鎖の行場があります。この日は絶好の登山日和であったこともあり、すごい数の登山者でした。鎖場も大渋滞しており、先へ進まず、ちょうど中間地点で、停まっていた時でした。そこは、なんとか2人並んで立てる岩場で、下から追いついてきた人が横に立ったので、ふと見るとそこにはテレビでよく見る顔が。なんとプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんでした。

知らない人も多いと思いますので、説明しますと、田中陽希さんは、NHKBS放送の「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」や、その後、二百名山も踏破し、現在、三百名山ひと筆書きに挑戦中の人で、山登りをする人には、超有名人です。その日は、九州からスタートした3百名山踏破の途中で、四国の山を進んでいた時だったようで、頂上では、登山者達たちが噂を聞きつけ、田中さんがついた時にはものすごい歓迎と記念撮影の嵐でした。私も握手と記念撮影をしてもらい、良い思い出となりました。

最近は、こんな感じで休日を過ごしています。もっとどっぷりと自然の中で暮らしたいという夢もありますが、実現できるかどうか・・・

【平成30年11月号「さぬき建築人」掲載】 

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役員リレーコラム「四国遍路の魅力」総務委員長 詫間 正章

 檀家であるお寺の工事をした後、完成報告のため高野山に訪れる機会がありました。参詣するに当り、衣装等を用意するようにいわれたので、白衣(びゃくえ)、さんや袋、わげさ、納経帳は買い求め、金剛杖は母親のものを使用することにしました。これをきっかけにして我家の四国巡礼の旅が始まったのです。
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  四国遍路では霊場に参詣することを「打つ」といいますが、私達は足の向くまま、気の向くまま、車で巡るので「乱れ打ち」というようです。因みに、その他に「通し打ち」、「順打ち」、「逆打ち」とあり、「逆打ち」は昔は道に迷うといった苦労も多く、三倍のご利益があるといわれていたそうです。通し打ちで巡礼した場合は全長1100~1400kmの長い旅になります。現在私達は88箇寺の内、68箇寺を廻ったところです。廻る理由は、折角道具も揃えたし、四国もまだ行ってない所も沢山あるし、それから余暇の時間の過し方としては結構充実しているし、といったところでしょうか。両親の供養もあるのですが……。

 近年は随分四国遍路の人気が高いようで、中でも驚いたのは若い人、特に女性や外国人の多さです。その昔、若き空海は修験者として、その険しい道を巡ったわけですが、現代の「モダン遍路」は観光という側面も大きく、2015年にニューヨークタイムズが掲載した世界の観光地ベスト52のうちの35位にランクインされたそうです。一体何にそれ程の魅力があるのでしょうか?

 元来その目的は、先祖供養、病気平癒、また自らの宗教心を高めるために、といったところから、近年では、健康維持、余暇の充実、四国の自然を求めて歩くすがすがしさ、寺社建築への興味といった幅広いニーズの受け皿となっているようです。その中でも私は特に人との出会いが大きな魅力の一つと思っています。その一端を紹介します。

 60番横峰寺に参った時、この寺は車で15分程度急峻な山を登った所にあるのですが、若い外国人のカップルがいて、声を掛けたところ、ベニスからハネムーンに来て、1ヶ月かけて日本中を廻っている途中立ち寄ったとのことで、数日かけて歩き遍路で何箇寺も廻っていました。また、45番岩屋寺に参った時、ここは車で行っても30分程度徒歩で山登りの必要があるのですが、帰りのお茶屋で女子大生を車に乗せ次の寺に送ることになりました。彼女は韓国で電子工学を学ぶ学生で、休みを利用して、寝袋を持ってヒッチハイクをしながら88箇寺を廻っているのです。その後結局、後の3箇寺も一緒に廻り、道後の宿まで送ってあげましたが、もう数箇寺で結願(88箇寺全てを廻ること)するとのことでした。

 また友人に誘われ「お遍路バッハ」というコンサートに参加したこともあります。若き女性ピアニストが休日を利用して歩き遍路をしながら、バッハの全て異なった楽曲を88箇寺に奉納しているのです。彼女によると東日本大震災直後、音楽家として何ができるのかという模索から「お遍路バッハ」にたどりついたそうです。因みにピアノの鍵盤は88鍵なのです。元来、音楽は神に祈りを奉げるために生まれたものだそうで、彼女は今年5月に順打ち歩き遍路を結願したそうです。

 以上のように私にとっては、人との出会いが大きな魅力の一つとなっています。巡礼者をもてなす「お接待」の気持ちに接し、巡礼者同士の人間的な交流に始まる不思議なご縁をいただき、何か心地よい気持ちになれるのも「お大師様」の功徳のお蔭でしょうか。人それぞれの感じ方、巡り方、思いがあるのが四国遍路です。        

合掌

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